2015.9月号
「愛のあるところ」
少子化対策のため、内閣府が20~30代の若者へ結婚に対するアンケートをとったところ、設問で「今、恋人が欲しいですか?」の問いに対し、未婚で恋人のいない男女共におよそ40%近くの若者が「欲しくない」と答えました。理由は様々で「仕事や勉強、趣味が大事」「面倒」「興味がない」等々の結果が出ており、多忙な時期でしょうが「忙しい」を理由に今、恋人を作らなければ、仕事を定年し余生を送る時まで作る暇は無くなるのではないでしょうか。例えマイクロソフトのビル・ゲイツ氏であろうと一日は24時間で、人間にとって唯一、絶対の公平は時間です。仕事に趣味に勉強、自分に時間を使い、寝食を忘れ恋愛してから「忙しい」と言っても遅くはないと思います。
「愛の反対は無関心である」マザーテレサの言葉にもあるように「面倒くさい」「興味がない」というのは、無関心な愛のない言葉です。しかし、世の中は「家族愛」「愛社精神」「郷土愛」等々、人が集まる所には必ず愛という言葉があります。そして、その一番身近なものが、恋人を愛する「恋愛」ではないかと思います。今、この若者の「愛」が薄れてきているという結果がでたのは、日本の若者が団体を大事にする全体主義から、自分だけの利己主義に変化している傾向にあるからではないかと感じます。
日本の場合、一人の子どもを育てるには約3,000万円のコストが掛かると言われ、将来の社会保障も、経済状況も不安定ではやはり、結婚して子どもを産むというのは一昔前よりも大分難しくなってきました。特に我々の住む根室の場合は市内で出産が出来なく、離れた中標津、釧路にまで通わなければならず、心理的にも経済的にも、他の地域よりも負担は多くなり、市も交通費の補助等で様々な対策をとってはいますが、10年近くも市内で産めないこの状況は他の地域と比べ問題意識が低いのかもしれません。恋愛にもあてはまりますが、問題を解決する場合、一方向からだけ見て、過去の例に倣っても無難な答えしか見つかりません。多方面から、前例に囚われず解決の方法を探る必要が将来の可能性を創っていくのではないでしょうか。
魚谷 直世 記