2015.1月号
「男の美学 」
振り返ると2014年は多くの映画スターが亡くなった年でした。中でも衝撃だったのは、11月にご依拠された高倉健さんでした。映画一筋に生きた昭和最後の映画スターであり出演した映画本数は205本。その半分以上がヤクザ、博打、前科者と、アウトローな役回りが多くピーク時には年間10本以上も同じような役をやりました。しかし、役者としてイメージの固定を嫌い、納得いく作品に出演したいと東映を独立します。安定した収入を捨て、信念を貫いた健さんでしたが、しばらくは作品に恵まれずに私財を売って食いつないだと言います。しかし、1977年に公開された、北海道が舞台の「幸せの黄色いハンカチ」この映画の大ヒットにより再び映画スターの道が開かれて行きます。映画全盛期である1970年代は私も好きな「仁義なき戦い」シリーズが東映より始まり、健さんのこの独立がなければ、本年同じくご依拠された菅原文太さんと共に「仁義なき戦い」シリーズに常連となっていたのではないかと思うと、残念な気もします。
色々な映画で北海道とも関わりが深い健さんですが、実は根室にも30数年前に三菱「ギャラン」のCM撮影でナオエ石油に来たことがあります。当時、三菱マークを上げていた西浜店で撮影を行い、私はまだ3~4歳でしたが、撮影終わりに健さんが私を抱っこしてくれたとのことです。その時の写真があれば家宝にしたいぐらいですが、残念ながら撮ってなく、親に何故撮らなかったのかを聞いても「自分、不器用ですから」とのこと。晩年は闘病生活を送り、映画「鉄道員」のように静かに行きたいとの希望から親しい人にも知らせずに「不器用な男の美学」を最後まで貫き通しました。辞世の句となった「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」健さんの生き様が表されており、精進を嫌う現代の若者である我々に語りかけるものがあります。2014年も終わり、また新しい年が始まりますが、時代が変わろうともこうした人の進むべき道は不変のものではないかと思います。2015年もナオエ石油は商売に精進してまいりますので、これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。
魚谷 直世 記