2014.6月号

「カタカナ」

 

 この「家業雑感」を書き始めて早くも1年半程になります。最近色々な方に指摘されるのが文章に「カタカナ」が多くて読みにくいとのことです。特に意識して「カタカナ」を使っているわけではありませんが、私の場合は表現が下手なのか、文をごまかす時や、ネタがなく横文字でそれらしく文章を埋める時に使ってしまう傾向があります。しかし、元々この「カタカナ」というのは「ズキンズキン」「ドカーン」のように文字を音に写す仮名と言われており、同じ文字や発音でも「ひらがな」と「カタカナ」では読み手の印象も大分変ってきます。一流の小説家はこの仮名表現が上手いと言われており、ノーベル文学賞作家の「川端康成」は小説の中で子供の頭を殴る時の表現に「こつん」と平仮名を使いました。子供の頭を殴るのにカタカナの「コツン」では、物を殴るようで愛情をあまり感じない印象を受けてしまいます。非常に小さなことではありますが、多くの読み手は文章を自分の頭で映像化しており、漠然とした違和感を感じてしまうと、その物語に入りこめないのではないでしょうか。日本人ならば当たり前に使っているこのような文字の表現ですが、物語に入り込める上手な小説家程この小さな表現力が絶妙な使い方なのではないかと思います。

 しかし、このような絶妙な文字の表現力は近年スマートフォンの普及により大きな変革が起こっています。無料通話アプリである「LINE(ライン)」の登場により、今まで文章として表現した相手に伝えたいことが、スタンプという「絵」一つで自分の気持ちを表現することが出来るようになりました。送り手にとっては、相手が文章をどのように捉えるのかを考える必要がなく、長い文章を作らなくてよくなりました。又、受け手側も文章を頭で映像化する労力なく、素直に送り手の表現が見えることが出来るので、若者を中心に浸透していった「LINE」ですが、このような表現方法が受け中高年齢層にも広がっております。元々「文字」は「絵」から進化したものでしたが、現代はまた「文字」が「絵」に進化しつつある状況に時代の流れ、この一言で流していいのか考えてしまいます。

                                             魚谷 直世 記