2013.7月号

「大震災後の現場からの生報告」


 東日本大震災から2年半が経ち、復旧はままならないが少し落ち着き、色々な生のデータ、真実の報告発表が現場から出てきた。一部分を紹介します。震災発生直後、5日間位は電気、ガスが完全に止まり被災した人達が最も求めていたのはガソリンであり、2番目が食糧、3番目が灯油だった。何のためガソリンが必要だったかというと避難所もいっぱいで入れない方々が津波をかぶって体は濡れ、横殴りの雪も降っている。車で暖をとるため、生命を繋ぐのはガソリンだった。そんな状況下で、家族が津波で流され行方知れずになったり、家も車も流された石油スタンド社員は、馴染みの、いつも「いらっしゃいませ」「こんにちは」「車の調子いかがですか」「車きれいにしますか」と話し合っている、おじちゃん、おばちゃん、お嫁さん、お兄さんを前に手回しでガソリン、灯油を汲み上げて給油した。給油機が傾き、電気が止まり、手動しか残されていなかった。20回まわしてようやく1ℓ給油できる。20回まわすと手にまめができる。2ℓ目には血が出る。そんな中で給油し続けた。いつものお父さんお母さんと会話をして仕事をしている人間のいる石油スタンドである。子どもが不明だ、ばあちゃんが波にさらわれていった、車を走らせて捜したり連絡をするのだからガソリンを入れてくれと言われ、スタンドから逃げ出したいが、いつもの面と面の商いをしているお客様の顔が目の前にありスタンドから離れられない。まさに機械なんか頼りにならない。何もない時は人間が機械音声に命令されて何事もなく動くが、こんな状況の中では人間対人間の「知っている」「世話になっている」「お客様である」が唯一の力になって泣きながら給油を続けたと記している。ガス・石油資源の埋蔵論に様々な意見があったが、だいたいの所、150年や200年は技術革新でどうやら採掘できるようである。であるならばこの与えられた期間、原子力事情の変化もあり、この石油、ガス資源をもう一度考えて使用する国の方針を議論すべきである。どれが正しい値段かわからないような方法で看板のぼりを立て売る時代は終わりにすべきと思うが、目の前の生活に追われ、お客様から指摘されるコンプライアンスが飛んでしまう私共の商人の現実がある。やはり生活者の行動が一番の力を持っています。情けないが他力に頼む己の姿が見えます。

                                             魚谷 直孝